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ツインタワーズがおくる、槇原敬之(ほぼ)全曲レビュー ライトあるみのブログ

04.髪を切る日

美容院に行くのが億劫過ぎて、最近伸ばし放題になっているワタクシ。
今日これを書くのは天の采配でしょうか。切れってこと?神様の思し召し?
などと思いつつ、これを書いております。

 

さて…。
一部の方には石をなげられるかもしれません。

が、あえて正直に書きます。
この「髪を切る日」アルバムの中でもスキップしちゃう率の高い曲です。
(この曲好きな方、本当にすいません)

槇原敬之大好き!ですが、全部の曲が大好き!!とはならないのです。
どちらかというと、私はとても『わがまま』なファン。
好きな曲だけエンドレスリピート派。
全曲真剣に作ってるアーティストからすると、睨まれちゃうかもしれませんね。ごめん、マッキー…。

 

でも、好きなものは好き!という事は、苦手なものは苦手!という事に通じると思うんです(え、違う?)
マッキー自身に手紙か何かで「あの曲嫌いなんですよね」ってのは失礼だと思います。
そんな作家殺しは好き嫌いというより、人間性の問題になってきます(^^;

好みはあって当たり前。人間だもの、と某詩人さんのようになっちゃいますが。

じゃあ、なんで私がこの回書いてるの?というのはご想像にお任せいたします…。
(ももたさんの名誉の為にいうと、たまたまです(笑)

 

前置きはこれくらいにして、本題。
歌詞を今この年齢になって読んでみると『ええ』歌詞なんですよ。
そりゃ我らが槇原さんですもの。
切ない曲好きとしては、たまらんです。

でもよーく読んで、なぜ自分があんまりこの曲を好きになれなかったのか、分析してみました。
結果、「もう恋」の一部分で引っかかったのと同じような理由で、苦手なんだなぁと納得。

偏見になるかもですが、「髪を切る日」の主人公は『髪を切る』という行為を

『当てつけ』

の為に行っているのですね。

証拠がこの歌詞。

「短く切ってください
彼女が嫌いだったスタイルに」

かーーーーー!!!!!
(怒りの表現。漫画ちっくですいません)

なんでや。
なんでや。
別に彼女関係なく、短く髪切ったらえーやないのけーーー!!!(どかーん)
(…チコちゃんが噴火してるような感じの表現です。漫画脳で本当にすいません)

ずーっと、そう思ってきたわけなんですが、はたと気が付きました。

これは、彼女に対して「あてつけ」ではなく、彼女が長い髪型が好きだったから、彼は長くしてたの?と。
そうとも取れる…。
彼女に戻らないために、彼なりのけじめの為に切ったわけ??

…人間は自分の物差し(価値観)で物事を見るわけでございます。
それがあまたのスレ違いを生むんですよね。
面白い…(と思うしかない)

でも、あてつけじゃないとしたら、随分この彼は恋を引きずっておりますな。
わざわざ、髪を短くしないと前に進めないって事ですよね。

いや、私も失恋で髪を切った事はあります。心機一転のお約束です。
古今東西、色んな意味で切り替える儀式として、人は髪を切ってきました(当社調べ)

でもそれは『自分のため』
自分が恋を吹っ切るためなわけです。

そこには「彼女の嫌いだったスタイルにしよう」というマインドは無いんですよ。

ですので、二通り取れる歌詞だと気が付いた今でも、やっぱり何だかこの曲は好きになれない。

 

男心がお前にわかってたまるか~!とどこかから野次が飛んできそうですが(笑)

 

『はさみが通るたび 想い出が落ちていく』という表現は秀逸。
この頃のマッキーの作詞は小説家のような表現だなぁとうっとりします。
私がマッキー好きになったの、こういう美しい歌詞に惚れて、だったので。

『さよならの意味も きっと自分で変える事ができるはず』
そうそう、そうですよ。
出会いと別れは人生にはつきもの。
苦しくて死にそうになっても、立ち上がって生きていくのは自分の力。

今ならこの曲の主人公に昔より寄り添えそうな気がしますが、ポンポン肩を叩いたら嫌がられそう(笑)
ゆっくりじっとり後ろ向きになって、終わった恋に一人で終止符を打つのも、大切な時間ですよね、きっと。

ちなみに私は短い髪の男性が好きです。
そんなん誰も聞いてないわって突っ込みにて、今記事はおしまい。