03. PLEASURE
以前は、タイトルと歌詞が繋がりにくい、と思っていました。
「太陽」三曲目。「PLEASURE」です。
英語に弱い私は、ネットの知恵を頼るのですが、どの意味を取れば良いのか一瞬迷いますね。
楽しさ、喜び、愉快、満足、歓喜、歓楽、娯楽、に快楽、なんてのもある。
うーん、歌詞と照らしわせて一番ふさわしいのは『喜び』でしょうか。『満足』もあり?
同じ『喜び』を表す英単語に、joy、delight、enjoymentがあります。
…これ以上やると脳がプシュー(笑)となりますので、疑問に思ったら各々調べて欲しいのですが(丸投げ)私の中では『穏やかな喜び』だから、pleasureなのだな、と納得しました。
歌詞の内容的には「BLIND」と同じなんじゃないかな、と。
出ていく君に
この花をおくるよ
同じ花はもう咲かないけど
有り難うの代わりに君の
願いを僕に叶えさせて
ここと、
さよなら さよなら
僕という目かくしを
はずしてあげるよ
さよなら さよなら
この魔法をとくよ
その人だけ見えるように
に共通点を感じます。
どちらも、好きな相手の幸せを願って自分が身を引く、という。
愛という感情は、『自分の事より相手を尊重する』
恋だとこうはいきません。
好きって狂気をはらみますから。。
根本に性欲があるかないかだと、私は睨んでおるのですが。
(人の三大欲求である分、たちが悪い)
愛する人の幸せは何より自分の幸せ、という一文を中学生の頃少女小説で読んで、そんなもんかいな、と思っておりました。
手を放す、という愛は、痛みを伴います。
それでも、痛みを乗り越えて手を離せたというのは、自分の誇りになりますね。
だからこそ、辛いけれど、喜びも感じる事が出来るんだと思います。
僕は運が悪かった
体中が刃物みたいに
何気なく触れたもの全部
傷つけるのが怖かった
冒頭の歌詞に戻りますが、ここを読むと1980年代の大映ドラマを思い出してしまうのは、私だけじゃないはず(笑)
今の若い人に簡単に説明すると、1980年代はヤンキーが流行ったんです。『今日から俺は』の世界観ですね。『瞬きもせず』の『スクールウォーズ』の『ヤヌスの鏡』の『アリエスの乙女たち』の…(延々と書ける)不良が世の中に跋扈していたあの時代。
暴走族…横浜銀蝿がヒットチャートに名を連ねていたから、時代が彼らを受け入れていたんですよね。もしかしたら先端を走っていたかも。2020年には考えられない世界です(でも潜在的に好きな人も多いのかな)『今日から俺は』は大ヒットしましたもんね。
簡単な挨拶もいえなくて
それでも言葉を探している
今の時代ならコミュ障の男の子が浮かぶんですけど、あの頃だったら硬派でシャイなヤンキー君のイメージ。
すいません、一度自分の中でイメージが嵌ってしまうと、そこから抜け出せない(笑)
私の中では「PLEASURE」はちょっとワルだった男の子の曲なんです。
なので、『不良』というワードが出てくる「花火の夜」とも繋がります。
前回の「キミノイイトコロ」でも『花』が出てきました。
この頃のマッキーは『花』について色々想いがあったのでしょうね。
花は何も求めず、ただそこに咲いて、人を癒し励まし、喜ばせてくれる。
太陽、と通じる。自然は人間を愛している、そう思ったりします。
少し前に『愛』についての文章を書く機会があり、延々と調べものして自分なりに研究したんですけど、そこで知ったエーリッヒ・フロムというドイツの社会心理学者がこういうことを言っています。
愛は自分自身の愛する能力にもとづいて、愛する人の成長と幸福を積極的に求めることである
昔から書かれていたこの姿勢が、アルバム「太陽」からよりはっきりしたスタンスで描かれていったように思います。
最後に動画を。
槇原敬之公式チャンネルで聞ける「PLEASURE」
いつも貼る時にRemaster版か否か迷います。
こちらと、
リミックス版。公式様ありがたや~
「Wow」のカップリングです。自分の名前を冠したMixって珍しくないですか、マッキー。それだけ思い入れがあるのかしら。
公式にはありませんが、MAKIHARA NORIYUKI SYMPHONY ORCHESTRA CONCERT "cELEBRATION" 最初のセレブですね、あの「PLEASURE」がめちゃくちゃ格好良いので(イントロのギターが素晴らしく”鳴いて”います)見て欲しいなぁ、と。
お薦めはDVD購入ですよ、奥さん。
(事務所の回し者ではありませんが、槇原敬之というアーティストを『愛する』と、こういう草の根作戦をしてしまうのはしょうがないのですよね、きっと)
愛は自分自身の愛する能力にもとづいて、愛する人の成長と幸福を積極的に求めることである
ですからね(大事な事なので、二度書きました)