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ツインタワーズがおくる、槇原敬之(ほぼ)全曲レビュー ライトあるみのブログ

05. Happy Ending

この曲は私にとって、聞くのに勇気が要る曲です。

なぜなら、胸がとっても痛むから。

元々、とても感受性の豊かな子供だったのも原因なのかもしれません。

(今はこういう気質だと理解しているので、生きやすくなりましたが)

が、気質のせいだけではなく、うちの親がネグレクト気味の今でいう毒親風味で、この曲を聞くと、子供の頃の記憶がトラウマみたいに呼び起こされるんです。

それほど、あの、子供の背筋が凍るような恐怖の瞬間をリアルに歌にしているといえるんですけれど。

だから、この曲は自衛案件で、辛いなら聞かない選択をするのが吉なのです。

 

…でも聞かなくてはレビューできないジレンマ(笑)

という事で、「EXPLORER」ツアーで聞いたきり、封印していた曲を久しぶりに聞いてみる事にしました。

 

ふーむ、歌詞は覚えていましたが、曲を全く覚えておりませんでした。びっくり。

これは…フュージョン?というすみわけでよろしいか?

素人なもので、間違ってたらごめんなさい。ジャズっぽさからの連想で思いつきました。

フュージョン、という言葉を調べてみるに、1970年台から1980年台初頭に流行していたようで、幼き槇原敬之少年のエピソードを元に作成しているのであれば、時代背景的にもアリかと思われます。

万博公園は大阪人にとっては何となく聖地。

日本万国博覧会は1970年に行われました。マッキーが万博に行っていたとしても、この頃の記憶はほぼなかったんじゃないかと。

そのかわり、万博が終わった後にエキスポランド万博記念公園が出来ました。

今曲の舞台はそのエキスポランドです。今はもうありませんが、その頃関西でも屈指の大きさを誇り、沢山の人が訪れていた場所。

しかし、お家がお商売をしていた槇原家では、お店が休みの日に訪れているため、 人手が少なく、ちょっと閑散としていたんでしょうね。

冒頭に描かれた、

冬曇りの重そうな空

という歌詞も何となく、その後の展開を予兆させるような雰囲気。

 

曲の背景を延々と連ねてしまいそうなので、おいといて。

あるみ流に一刀両断に切らせていただきます。

無駄使いをさせた僕のせいで

母さんが怒り出した

 この歌詞。

ここは、主人公である『僕』は一切悪くありません。

この幼き彼が受けたショックに泣きたくなってしまいます。

可哀想すぎる。

 

もしも悪い人がいるとするならば、おもちゃをねだられるままに買ってしまったお父さんと、子供の前でそれを怒ってしまうお母さんが悪い。

今、この歳になり、結婚し、親になり、言える事は

幼児の間は、わがままだとしてもそれは成長に必要な過程であり、そのわがままにどのように対応するか、それは親としての修行であり、教育。

そう思っています。

お家により、様々な事情はあるでしょうし、子供の生まれ持っての性質もみーんな違う。一概には言えないとも言えます。それでも、私は断言します。

親が子供に甘えちゃいけない

冒頭で『毒親』の話をちらっとしましたが、毒親全てに共通する事、それは親が親としての立場から逃げ、子供に甘えているのです。

過干渉だろうが、ネグレクトだろうが、根本は同じ。

子供より何十年も先に産まれ、人生経験も積んでいるのに、子どもの権利を守れないようじゃ、大人として情けないです。

 

…熱く語ってしまいましたが(苦笑)

 

あのときあんなに泣いたことも

今は笑い話だけど

歌詞はここで一気に転回します。

回想が終わり、大人になった主人公のいまの気持ちが語られ、タイトルの通り、「Happy Ending」がやってくるわけですが、…本当に?

 

相手の喜ぶことをまず先にできる

僕にならなくちゃだめだ

あの日のことがあったからこそ

この答えを諦められずに

探し続けられた

誤解を恐れず言いますと、無理に主人公の心の中の幼き僕を押し殺し、あのエピソードがあったから良かったんだよ、うん、と納得させちゃっていないかな?と不安になってしまいます。

 

「ファミレス」でも思いましたが、お母さんあなた怒り過ぎです…。

叱る、と怒るって違います。

怒るって、自分の感情を制御出来ていないんですよ。

お母さんの気持ちになって、背景を考えるとお母さん側に共感も出来る部分もありますが、多分、お父さんがおもちゃを買ってあげた事ではなくて、お父さんに日頃鬱憤がたまっており、それが急に爆発しちゃったんだろうなと推測。

…でも、ここではぐっと我慢して欲しかったな。

家に帰って、冷静にお父さんと話しあって欲しかったな、そう思います。

 

そんなこんなで、レビューの〆に入りますと。

「Tag Team」

はこの曲と深く繋がっていて、いわばこの曲のアンサーソング的な役割を担っていると思います。

「Tag Team」を先にアルバムの中で配置したのも、マッキーの意図を感じますね。具体的なエピソードはこちらで歌い、補完したのかな、と。

ほら、大事な事なので二度言いました、的な(笑)

 

多分、私はこの先自らこの曲を聞くことはないと思います。

それほどまで、子供の頃のトラウマは強烈で、その人の人生に影を落とします。

だからこそ、今の私になったと思えますが、それを人から言われるのはちょっと違うというか。

マッキーからしたら『気づき』を与えたかったのだろうなと思いますし、その通りだなぁと理解できるんです。

けど、この痛みだけはどうしようもないもので、自分なりに決着をつけていても嫌悪感は消せないんです。

 

そんな嫌悪感を持ち続けている方が、この記事をもしも読んでくれているとするならば。私はこの詩をシェアしたい。

For every evil under the sun,

There is a remedy or there is noe,

If there be one, seek till you find it;

If there be none, never mind it.

この世の どんな悪いことにもなおす手だては あるかないかどちらかです

もしあれば 見つかるまでさがすこと もしなければ 気にしないこと (マザーグース

この詩に、救われた感がありました。

『気にしない』

それが救いになる人もいるんです(私です)

*最初から諦めたわけじゃなく、やるだけやって無理だった末の『気にしない』です、念のため。

 

You should not try to solve problems that you can't solve.

(この世には解決できないこともある)

 魂の傷の癒し方は、人それぞれ。

本当の意味で、その人の「Happy Ending」がいつか訪れますように。

そんなことを思いつつ、本記事はおしまい。