09. THE END OF THE WORLD
この曲の「物語性」は槇原敬之作品の中でもピカイチ。
若かりし頃の私が大好きだった曲。
改めて歌詞を読んで、どこがどういう風に好きだったのか、考えてみました。
「不倫」の歌と、彼自身が公言しています。
マッキー自身は未婚ですので、誰かの話からインスパイアを受けたのか、はたまた。
二股かけてる主人公。
これ、中々書くの難しいと思います。
ちょっとでも気を抜くと、アホな男の自慢話になりかねない。
『SPY』では二股をかけられてる方の心情が描かれました。正反対ですね。
世のあまたある二股楽曲(字面が酷い)の中でも、かけられてて疑心暗鬼的な曲は多いですけど、かけてる方はねぇ。
なんなの?自分が人を裏切っておいて辛いとか言ってるんじゃねぇ
…というのが視聴してる方に湧き上がってきてもおかしくない。
この曲の根底に「自嘲」と「どうしようもなさ」があり、たんたんとト書のように場面を説明する客観的な視点があるからこそ、そんな不満が出にくいんでしょう。
でも、ねぇ。
この歳になると、男の狡さが曲の良さと同じ位浮かび上がってきて、『大好きな曲』から『好きな曲』にランクダウンしました。。
メロディは変わらず好き。
導入部の美しさ、切なさ。
エンディングの包み込むような優しさ。
昔と変わらず、胸がギュッとなります。
歌詞それぞれも美しい比喩は無くても、言い回しがオシャレだなぁと。
高いホテルの窓から見える
どこかの部屋の窓明かりが
一つ一つ消えてくたびに
逃げ切れたような気分になる
このまま小説が始まったら、名作になるだろうという予感が。
2人が会う日はいつも雨。
『行いが悪い』
始まりの言葉は通常歌詞に使わないような、昔からの迷信。
でも曲自体を真綿で首を絞めるような怖さで、きりきり締め付けてきます。
2人ともわかってるのにね。
というか…。
「Witch Hezel」で『ひでぇ女だなぁ』と書きましたが、この「THE END OF~」の男も『ひでぇ男』です。かなりの。
罪の意識あんの?と。
恋の渦中だからと思いますが…。
でもね、思うのは。
きっと彼は、この彼女も本命の彼女も、本当には愛してないよ。
という。
友達からこんな状況を聞かされたら全力で止めるかも。
しかし恋はやっかいで、友達が聞いてくれない所まで予想できる。。
僕と彼女の幸せを 君に分けたとしても
やっぱり幸せのかけらは
ただのしあわせのようなもの
なんで『僕と彼女の幸せ』を『君』に分ける?
すごーく上から目線なんですよね。
主人公の彼はわかってないと思うけど。
恋なんてエゴとエゴのシーソーゲームとミスチルの桜井さんは書きましたが(デジャブかな?)
シーソーゲームにさえならない関係は恋じゃない、とも言えます。
待つ女、耐える女。
日本の歌には多いですが、えてして皆幸せになってない。
だからこそ、絵になって曲になって、共感して泣けるのかもしれませんが。
マッキーがずっとライヴで歌わなかった理由が今になってわかるなぁ。
でも、「Lovable People」ツアーではいくつかのホールで歌ったそうです。
それも、何となく理由が想像つくというか。
求めるファンがいるなら『歌う』というのがアーティストのお仕事ですよね。
色んな思いが交錯するこの曲。
どの立ち位置に共感するかで評価が分かれる楽曲です。
若かりし頃の私は「気にしてないよ」と言った彼女に共感しておりました。
ひたむきに人を愛する、というのは言い訳で、ひとりぼっちより誰かを待つ方が良かったんでしょう、きっと。
ファンクラブで好きな楽曲投票したら全楽曲中何位になるのか?
ちょっと知りたい今日この頃です。