03. 桃
アルバム先行シングルとして、2001年4月に発売されました。
復帰後初のシングル。通算23枚目。
この、ほぼ全曲レビュー、ももたさんとやっているわけですが。
マッキー好きの二人がレビューするなんざ、曲を取り合って骨肉の争い(笑)が起きてもおかしくないんじゃ?と思われる方もいらっしゃるかもしれません(んなわけないか)
でも、ここまで本当に『さくっ』と曲を分け合えました(2~3曲、例外もあります。ポジ的にもネガ的にも(^^:
好みが正反対な私達。摩擦が少なくてありがたい。
だいたい、アルバムごとに希望を出して話し合うんですけど、この「桃」に関しては、きっとももたさんが書くんじゃなかろうか、と勝手に思っておりました。
だって、ももた さんだから。
しかし、ももたさんのももは、この「桃」からではなかったので、さくっと『どうぞどうぞ』されました。ありーと肩透かしをくらったワタクシ。
だって、ももたさんが書くと思い込んでたんですもの…。
以前書きましたが、ちょうどこの頃、音楽から少し離れていた時期でして、「桃」発売時の復帰を喜ぶ思い出も、ライブに行った思い出もないんですよね。
私のマッキー第二期は「本日ハ晴天ナリ」から始まっているので。
「桃」が人気曲なだけに、少々腰が引ける気持ちも無きにしも非ずですが、今回はちょっといつもより丁寧に(いつも愛は溢れておりますよ!その分勢いで書いてる所もあるのですが…ごにょごにょ)考察してみたいと思います。
イントロの第一印象的には、矢野顕子さんを思わせます。使ってる機器の音が近いからでしょうか?(この辺を玄人さん視点で解説して欲しい。誰か居ないものか)メロディは中華っぽい雰囲気を持ちながらも(楽器では二胡が使われています)柔らかな優しいサウンド。そっと包み込んでくれるような、心地良さ。
からの。
抱きしめたいという言葉の
意味とは裏腹に
不安や寂しさを君に
押し付けようとしてたんだ
この歌詞。
鋭く心をえぐってくる歌詞は、ポップスの域を超えています。
何とも言えない、困った感情がむくむくと。ぐぬぬ。自然と眉が八の字になっちゃうような。
フォーク全盛の1970年代ならいざしらず、2000年代の歌っぽくないですよね。
曲が柔らかいから騙されますが、非常に『痛い』楽曲です(問題を提起するという意味で)
…というかですね、「桃」はきっとラブソングじゃないですね。ラブソングの皮をかぶったライフソング(私の解釈ですからね、念のため)
また最初に戻ります。
抱きしめたい、と人が思うのはどんな時でしょうか?
”相手を好き” だからですね。性的な意味合いか、可愛いもの(例えば子供や人形等)への気持ちかは置いておいて。
抱きしめたいという気持ちも色んな意味がありますが、それは『好き!』という感情が土台にあるべきで、不安や寂しさの解消ではないはず。しかし、曖昧になってる人も多いでしょう。自分の今までの人生を振り返ってみてください。何かを抱きしめた時の事を。
好きな相手に何かを買っていこうとした時、純粋に『相手を喜ばせるため』にじゃなくて、自分が好かれるために相手のご機嫌を取ろうとして、買っていったんです。もしくは、話を聞いてもらったり寂しさを紛らわせて貰うための”対価”として桃を選んでいたんです。
でもそんな行為を『最低』と思えるのは、気がついているから。
気がついてさえいない人は世の中には多い。
相手はおろか、自分自身の事も『見ようとしなければ見えてこない』
嫌な出来事があっても、曖昧なままスルーしたり、他の事を考えたり。それも生きる上で重要な行動だけれど、逃げた分解決が難しく、また同じような出来事があれば、同じように苦しむんでしょう。
そして。
気がついても、見て見ぬふりをする人も多いです。
理由は、気がつけばつくほど、人生はハードモードになるから。
大抵の事柄は、答えがあるんです。でもたどり着くまで延々と悩み苦しまなければならない。日常生活に支障をきたす恐れがある出来事は蓋をして見ないふり。
その選択をするのも自由っちゃ自由なんです。
でも、そうしない。
それがこの「桃」の君であり、その”君”と
今までどんなに知りたくても
知る事の出来なかったことを
ひとつひとつあきらめずに
僕は君と知っていく
そんな”僕”の物語。
こう読み解くと、サビに出てくる『桃』は暗喩でしょうね。
高い場所に実を付けた
桃に手が届くように
君を抱きあげることが
幸せだと僕は気づく
独り占めすればいいのに
地面に足をつけた君は
一緒に食べようと笑うから
桃はもっともっと甘く香る
人生の真理=桃、と私は読み解きました。
高い場所に実をつける、というのはそれを取るのが容易でなく、困難を生じる場所にあるという事。
『君を抱き上げる』と書かれているから、君の方が主人公より『小さい』んでしょうね。
身長か年齢か、はたまた?
でも、君の方が高い場所にある『桃』をつかもうとしている。
曲の後半、やっと彼は気が付くことが出来ました。
高い場所にある桃を取ろうとしている君の手助けをして、一緒に桃を取ろうとする時、幸せであるということ。
書いてて、いきなりシナプスが繋がったのが、『マズローの自己実現理論』解説すると長くなるので、これまたご興味ある方は調べて欲しいのですが、アメリカの心理学者、アブラハム・マズローが「人間は自己実現に向かって絶えず成長する」と仮定した理論です。五段階の欲求、そのさらに上に『自己超越』があるのですが、何となく、高い場所に実を付けた桃を二人で協力して食べる図に、その自己超越を感じました。
最後に。
イントロで矢野顕子さんが浮かんだのは、こういうエピソードが私の中で「桃」に繋がっているからかもしれません。
『ライフ・イズ・ノット・イージー』 人生は楽じゃない
マッキーが最初に逮捕された時、矢野顕子さんがくれた手紙にこう書かれてあったそうです。彼を思いやる気持ちとともに、人の心の光と影についての洞察も綴られていたとか。
君のようになりたいはずなのに
駆け引きのない気持ちを
いつもくれる君のように
特定の人との事を描いた曲ではないと思いますが、マッキーに駆け引きの無い気持ちをいつもくれる矢野さん。
マッキーの『メンター(師)』といっても過言では無いはず。
有名なアーティストで一番にマッキーを見つけてくれたのも矢野さんですものね(『ハーフ』がかかった坂本教授のラジオ番組、送られてきたデモテープは矢野さんが最初に聞いて、厳選したものを坂本教授にすすめていたそうな)
上に書いた手紙のエピソードのせいか、「桃」と「You are so beautiful」の『君』『あなた』は矢野さんの事じゃないか?と勝手に脳内変換されてしまいます(笑)あくまで私のイメージです。皆さんそれぞれイメージングが広がってると思いますので、それを大事にしてください。あるみちゃん的にはこうなのね、という事で。
では、動画を。
MV版と
アルバム版
こないだ買ったハンドクリームの匂いは『もぎたての桃』
今年はハンドクリームを使うたび、この曲を思い出すと思います(^^)