13. もしも
「Believer」もラストです。
この曲を初めて聞いた時、ベートーベンを思い出しました。
「ベートーヴェン生誕250周年」記念サイト / ベートーヴェンを聴こう!
(ユニバーサルミュージックの公式ページ)
結構若い頃から難聴だった彼は、40代半ばで全聾(諸説あり)になりますが、それ以降もパワフルに曲を作り続けた楽聖です。
もしも突然音楽が
聞こえない日が来ても
いつでも君の側で僕は
歌い続けるから
誰かを思う気持ちを
目に見えないものがある事を
いつでも君の側で僕は
歌い続けるから
今回、これを書くまで全く疑いもせず、聞こえなくなったのは僕
だと思っていたんですが、聞こえなくなったのは君
でも意味は通るんですね。
これは他の方にも聞いてみたい。僕か君、どちらが聞こえなくなったかによって、また別の感情が湧いてきます。
聞こえなくなったのが僕の場合は、ベートーベンのように障害があっても才能を手放さないでやり通した、不屈の魂を感じます。音楽を愛しているから歌わずにいられない、聞こえなくなっても自分の歌で君を癒す。君に教えたい、様々な不思議を。
そういう感じ。
君が聞こえなくなった場合は、たとえ音が聞こえなくても僕の歌は心に届くから。君の側で歌い続けるよ。そんな風でしょうか?
でもやっぱり確率的には僕が聞こえなくなった、の方が正しいでしょうか?
今日悲しむ人を見た
その人は大きな口を
あけてるのに
何も聞こえなかった
それは誰かの名前を
ずっと叫び続けて
声も出ないほど
枯れてしまったからだった
これ、凄い歌詞だと思いませんか?
槇原敬之という人はデビューから数年、暗喩の天才でした。
が、後年表現方法をストレートに変えた分、聞いてる(歌詞カードを読んでいる)ファンの心をえぐる場面を的確に落とし込んできます。
声が枯れる程、名前を叫び続けた人の悲しみの大きさ…。
想像すると胸が痛くてしょうがないです(TT)
手直しできない過去に
いつもただ泣きながら
途方に暮れるだけの
僕らだけれど
巡り来るいろんな命と
出会っては別れるたびに
途方に暮れるだけの
僕らだけど
いつか気付くと過去は
頑丈な踏み台になっていて
悲しみを乗り越える僕らを
支えてくれるだろう
あぁ、ダメですね…。号泣です。この曲、本当に歌詞が素晴らしい。
私の好みなのかもしれませんが、歌詞読んでるだけで泣けてきます。
いやね、21枚あるオリジナルアルバムの収録曲を見ていると、「Lovable People」と「Believer」だけ、13曲目があるんです。
これって、普段通り12曲では言いたい事が足りなくて、13曲目を作ったってことだよなぁって。
「Lovable People」は「 Alone」、「Believer」は今曲「もしも」
どちらも〆に相応しい壮大な名曲。
「もしも」の主人公は槇原敬之ご本人ではないだろうか?と思っているんですが、いかがでしょう?
80歳までコンサートやってくれるって言ってましたし(笑)
今度こそ、ずっと私達の近くで歌い続けてくださいね、マッキー!
と呼びかけて、本記事はおしまい。