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ツインタワーズがおくる、槇原敬之(ほぼ)全曲レビュー ライトあるみのブログ

08. さよなら小さな街

私的、ミュージカル曲に数えられています。

一曲目はこちら

主人公が生まれた街を飛び出し、大きな街で新しい価値観に出会う物語。

ピチカート・ファイヴ野宮真貴氏に提供した曲なんですが、アルバム「Lady Miss Warp」は「本日ハ~」と同日発売で、原曲とcoverを一緒に聞ける、というマッキーにしては珍しい楽曲。

色んな所で話してるのを覚えてますが、

『自分が歌うことを前提で作るというより、その人にピッタリな歌を書くっていうのが曲を依頼された者のやるべきことだと思う』 

とマッキーは言っていて。

歌うとしてもかなり後にcoverするというのが基本のスタンスな筈。

なので、野宮さん側とお話してあえてこうしたのかもしれないですね。

同日発売で聞き比べて欲しいという事なのかなと推測しました。

 

公式にはなかったので貼り付けませんが、どうにかして(笑)「Lady Miss Warp」を聞いてみてくだされば、と思います。

野宮さん版とマッキー版では、何かもう違う曲のように感じます。ふっしぎー!

アレンジの妙と歌手の持つ力、でしょうか。

マッキーバージョンはストレートに歌詞が入ってきます。生バンドを引っ提げて大ホールで高らかに歌い上げてるみたいな。だからミュージカルっぽく感じるのかな?

かたや野宮さんバージョンはマンボ調。そして野宮さんといえば渋谷系でオシャレ。でも、この曲ではキュートで温かみを感じる歌い方をされています。めっちゃ可愛い声だなしかし、と改めて思いました。絵本を開いておとぎ話を聞いてるような、不思議な感覚に陥ります。

どちらもそれぞれ魅力的で、甲乙つけがたい。

でも、歌詞の世界を伝えたい、とするならば、マッキーバージョンの方がよりこちらに届くかな?

 

「おまえはだめだ」これを主人公は誰に言われたかは明言されていませんが、「いわれて”ばかり”」とあることから、親や友達、近しい人みなからそう言われてきたのかな、と。なかでも、親をはじめ家族にダメ出しされるのは逃げ場がなくて一番辛いですね。

日本人は謙遜をする事が美徳という文化。それが自分自身に向ってるだけならまだしも、子どもは親の所有物的な間違った考えが長い間はびこってきた弊害で、子どもの事を謙遜もしくは卑下する親が多かった。例にもれず、私もそうでした。私達世代は多くの方がそうだったと思います。

でもこれをやられると子供は自己肯定感を破壊されるんですよね。

今は時代が変わって子どもを卑下する親も減ってきましたが、まだまだ完全には無くなっておらず、引きこもり問題の原因の一つではあるな、と思っています。

で。

そんな主人公ですが、思い詰めたあげく高い煙突に上ってしまいます。これはある種の『逃げ』

でも、逃げたことで自分の住むこの街が小さな規模で、さらに大きな街が遠くにあると気がつきます。

逃げるは恥だが役に立つ。まさに。

逃げちゃダメだと思いとどまるのも手ですが、同じ位”逃げる”のも物事を打開する一手なんです。

 

街はコミュニティの比喩とも言えるでしょう。

そういえば、マッキーは中学時代にいじめられていて、そこから離れるために隣の市の高校を受験したはず。

そんな経験も下敷きになったのかなぁ、と。

 

心にうそを付きながらもう

生きなくて良いんだ

 これまでもこのあとも、少しずつ言葉を変えながらも、何度となく出てくるワード。

『心に嘘をつく』のが本当に嫌なんだろうな、と。自分も他人も。

 

こんな生き方もいいんじゃない?とマッキーに提案してもらってるような気分になる今曲。

色んな事に悩んでいる子供達のみならず、袋小路で辛くなってる大人にも踏ん切りとか勇気を与えてくれます。

怖がってる時は見えないもの。

顔をあげて視野を広げたら、明るい未来が広がっているかもよ?

そんな優しい誘いで救われる人が居たら良いな、と願っております。