11. The Average Man Keeps Walking.
ここにきて、こんな風に悩むとは夢にも思いませんでした。
いや、本日の「The Average Man Keeps Walking.」ですよ。
名曲やん、、、めちゃくちゃ名曲やん…(最近のお約束)
ラジオドラマ「あ、安部礼司」のテーマソングとして作られた楽曲。なので、内容が安部礼司の世界観に寄せられていると思います。
槇原敬之、大ヒットラジオドラマ『あ、安部礼司』出演 | BARKS
リンク先、良かったらどうぞ。
で、ですね。。
私が何を悩んでいるかというと。
信号待ちウィンドウに映る
平凡な自分を見て思った
運命の人がこの僕を
探し出すのは難しそうだ
「運命の人」
「運命の人」って…何?と。
いや、あるんですよ?自分の中で定義が。
でも、それが揺らいでいるというか。
曖昧な事があったら、とりあえず辞書を引きましょう。ヒントがあるはず。
(そうか私の好きな『Fate/stay night』のFateはここからか←英語に弱い人)
『運命』は禍福なんですね。
ということは、『運命の人』というイメージも変わってきます。
スイートでロマンティックなものだけじゃないのかも。
一般的に運命の人は結婚相手、という認識があると思うんですけど、いかがでしょうか?
雑誌の特集なんかで「運命の人に出会う方法!」とかあるじゃないですか。あれって結局のところ「結婚相手」を見つける方法、とかだったり。
結婚=恋愛のゴール、的な観点があるのかなって。
これは日本人の共通認識な気もしますね。恋愛大国フランスとかだと全く通用しなさそう。そういえば『Femme fatale』ってフランス語ですね。運命の女、そして男を破滅させる女とも。
でも、、
運命の人=結婚相手、というのは、今この歳になって思うに違うんじゃないかな。
日本では3組に1組が離婚します。
死ぬまで添い遂げるから運命…という考え方には同意できない自分がいます。
あ、ダメだ。
短大の卒論のテーマが「恋愛とニヒリズム」ですよ。昔から恋愛小説書いてたんです、私。漫画や小説も沢山読んできました。事あるごとに呆れる程考えてきました。当事者の観点と傍観者の観点、どちらからも。
恋愛に関してはいくらでも書けます。というか、書いちゃう。
いやいやこれ、曲のレビューですよ
ももたさんに「 Firefly~僕は生きていく」で先輩よろしくって言われたのは、こういう危険性を見越しての事だったのかな(笑)
ごめん、マッキー。レビュー戻ります。
イントロを聞くと「君は僕の宝物」的な普遍的な魅力を感じます。
あと、「まだ見ぬ君へ」を想起するのはやっぱり「運命の人」がテーマだから?
マッキー、運命の人を何度もテーマにしていますね。
憧れがあるのかな。ていうか、みんなの心の中に憧れがあるのか。
稀有なものだからこそ、憧れるのかな。
ちなみに、運命の人に出会ったら一目でわかる、とかいうじゃないですか。結婚相手に出会った瞬間、頭の中で鐘がなった、とか。
ネットで検索すると、エピソードがわんさか出てくる。
一目惚れみたいな体験は「まばたきの間の永遠」で書きました。とすると、私がこの彼に声をかけて、もしも付き合っていたりしたら、彼は運命の恋人ってこと?
…だめだ、どんどん脱線していってしまう…。戻るんだあるみよ。
冒頭に引用した歌詞の何が秀逸かというと、『こんな平凡な僕を運命の人が探し出せるのか?』という問いの提起とその答え。
そこから、
ここだよと手を振る代わりに
ぴかぴかに光ってみせるよ
自分磨く日々の始まりの
月曜日だと思うと待ち遠しい
発想の転換が強くて素晴らしい。
ぴかぴかに光ってみせるよ。いいですね、ポジティブですね、こんな男性には有無を言わさず惹かれてしまいますね。
運命の人、早くこの歌詞の主人公見つけてあげてーーー!
「まだ見ぬ君へ」の頃はこんな歌詞でした。
古い友達とこの前
飲んでた時に言われた
「おまえの理想ってひょっとして
高すぎるんじゃない?」って「そうかもね」ってその場所は
笑ってごましたけど
君と出会うために生まれて
来たと言いたいだけ
『君に出会うために生まれてきた』
うわぁ。。うわぁぁ。。
なんだろう、このぐうの音も出ない感は…。
読書好きな私、本との出会いも運命だと思っているのですが(というか本こそ運命ってあると思う)昨日読んだ本に出てきたテーマが『魂の番(つがい)』
うわぁ。。
もうこんな声しか出ませんよ。
自分なりに恋愛に関しては様々なパターンに答えを出して、ファイル化して脳内図書館にしまっているんですけど、ここにきて「運命の人」の項目が揺らいできたんです。
昨日読んだ小説があまりに鮮烈に胸に入ってきたからでしょう。
「運命の恋人」は幻想だ、というのが今までの思考でした。(何気にひどい)
絵空事、というか、他の人はあり得るかもしれないけど、自分的には起こらない現象。
いつからでしょう、こんな風に思うようになったのは。
思い返すとちゃんときっかけはあります。だって私も昔は運命の人とか、ニコイチ(二個一、2人で1人の意)に憧れていたから。
小説とか漫画では沢山描かれているから、夢見がちな幼い私はそりゃ憧れるってもんです。ドラマティックな出会いとか。
村上春樹の小説群で幾度となく出てくる運命的な恋人の話、江國かおりの「神様のボート」よしもとばななも初期は運命的な恋の話が多かったと思います。
でも、いくつかの恋をするうちに、諦めました。
…というか、一番大きな原因はあれだな、18歳になった頃からしきりに親に『早く結婚して家を出て行くべし』と宣言されて、恋愛=結婚、になってしまったんですね。
私は恋愛相手というより、結婚相手を探して恋をしていた気がする。上に記した通り、日本人の思考です。
若い人がこれ読んでるかわかりませんが、早くから結婚相手を探すというのは一理ある、けれどその代わりに純粋に恋だけを楽しむ事から外れてしまうかもしれないよ、とアドバイス的に残しておきます。
…すいません、二千字超えました。このテーマだめだ。きりがないので、〆ます。
同じように見えるたくさんの
背中の中にこの僕だけを
探してくれる誰かに出会うまで
The average man keeps walking.
自分で見つけに行っても良いのになぁ、と思うんですけど、それだと「運命の出会い」にならないのかな。でも、じゃあ待つ方じゃなくて探し出す方はそれを『運命』とは思わないのかなぁ。難しい。
まぁ恋って人の数だけ形が違うから、自分なりの答えしか出せないんですけども。
自分の人生と照らし合わせた答えでは、『運命の人』は『自分の価値観をがらりと変えてしまった人』なんですよね。
もしくは『人生のレールの方向を変えてしまった人』
添い遂げる人ではなく。
…昨日読んだ小説は『52ヘルツのクジラたち』町田そのこ著 今年の本屋大賞です。
上に書いた条件2つにばっちり嵌っていると共に、もう一つ『運命』の条件が出てきます。それで私揺らいだ部分はあるかも。なるほど、と。
おいおい、また話を広げるような事書いてきたよ、ともう一人の自分に突っ込まれたので、このあたりでおしまい。
(風呂敷を広げるだけ広げて、逃げるんかいって突っ込みも無しでお願いします。これはいくらでも語れる話だ…)
人生が取り替えられないのは
それぞれに一番ふさわしい
人生を与えられてる
何よりの証拠だと思えるんだ
この歌詞の紹介を忘れちゃダメだと後日追記。
「The average man keeps walking.」の肝はこの歌詞でしょう(独断と偏見)
槇原敬之が今でもずっと言い続けている真理。
自分の人生を生きるという事。
その人生の中に、運命の人が居れば良い。
でも、居なくても良いかも?と思うのは、それが自分に相応しい人生だから(いや、居て欲しいですよ、本当は。でも運命の人に出会える日本人って何割位いるんだろう。自己申告で構わないから統計取ってみて欲しい)
まとまってないですが、レビューはここまで。
あ、重要な事を。
ももたさんと相談の結果、GWのお休みをいただこうかと。
次の更新は5/10、アルバムも一新、「不安の中に手を突っ込んで」になります。
よろしくお願いいたします!
15枚終わって、後6アルバム!
最後までお付き合いくださいませ!!
あぁ、今日は中身のわりに(レビューが少ない)長くなって本当にごめんなさい(TT)