TwinTowerTours (a)

ツインタワーズがおくる、槇原敬之(ほぼ)全曲レビュー ライトあるみのブログ

09. 記憶(Album Ver.)

水曜日のももたさんの「2 Crows On The Rooftop」読んで、そうか!このレビューブログもあと少しでゴールだったのね!と改めて実感しました。彼女も書いていますが、「宜候」のおかげでもう何曲かレビューを書く時間が伸びました。

感慨深い…と思いつつ、でもあと一か月弱は続くのを思うと、嬉しいような、ジャンプで連載持っている漫画家さんのような気持ち(笑)になります。いやいや、書くの楽しいんですよ?もっと書きたい!けど、一旦休みたい(ごにょごにょ・笑)みたいな気持ちもあります。こんな事を書くと、優しい相方さんは休息を提案してくれると思いますが、大丈夫、頑張ります。

 

前書きが長い(笑)

本題へ。

 

今回はシングルでも発売された、「記憶」

ニベアハンドクリームのCM曲になりました。吉瀬美智子さん、綺麗でしたよね。

槇原敬之2年2カ月ぶりシングル「記憶」NIVEA新CMソングを3バージョン - 音楽ナタリー

動画のリンクはありません。残念。

 

光のフレアが眩しくて

よく見えない誰かの顔

何とな~くわかるんですよ、光景が。

でも言葉を調べてハッキリさせてみましょう(笑)

フレア(ハレーション)とは太陽光などの極めて強い光源にレンズを向けた時に生じる現象です。(フレアとは 写真のフレアの意味 デジタル一眼レフカメラ用語)

ふむふむ。

上はカメラ用語なんですけど、光景としては後ろに太陽があって、子供が誰かを見上げている…のかな?

眩しくて見えないってそういう位置関係な気がします。

子供の頃って、母親の匂い好きでしたよね。

うちはがっつり働いていて毎日化粧をしていたので、お化粧の匂いだったと思います。

歌詞の中では、”誰か”はハンドクリームの清潔な匂いがしています。

『母親』って単語は出てこないんですけど、イメージ的にはお母さんのイメージ。

単語を出さない事によって、登場人物に幅を持たせるのも、うまいなぁと感じます。

これぞ!って歌詞が、

言葉を超えた想いの記憶

言葉に置き換えれるならこんな事を言わなかったと思います。

言葉は思いを伝える『ツール』ではあるけれど、完璧なものではない。

言葉と同じかそれ以上の記憶って、あんまりないと思いますが、想いが言葉を超えるのは経験済み。

言葉を愛していても、いつまでも難しい。

想いだけの方が強烈に残ったりしますね。

大丈夫だよと

微笑んであげたいとき

思い出せる特別な場面がある

大丈夫。

不安になった時に、言って貰えると安心できる言葉。

でもやっぱり、言葉じゃ伝わらないもの。

行動とか、表情とか。

 

CM曲という事で曲の方も非常にキャッチーで、耳に残ります。

かなり好きなシングル曲。

 

最後に、ここ秀逸だなって歌詞を。

全て嘘だと言わないで

冷たい冬を超えてこそ

強く美しい自分になれる

そうただ信じてほしい

『ただ』信じる。

信じるだけより純度が増しますね。

より難しい気もしますが、だからこそ格好良い。

ではこの辺で本記事はおしまい。

 

05. ただただ

この曲を初めて聞いた時、マッキーってホントに『自転車』が好きだなぁって思ったんですよね。

ずばりタイトルになっている「君の自転車」をはじめ、一番有名なのは「北風 」でしょうか?

FM802ヘビーローテーションになっていたので、初槇原敬之はこの曲って方もいらっしゃるかと。

歩道の錆びついた自転車が凍えている

マッキーはこの歌詞を書けた時、シンガーソングライターとしてやっていけるかも?と思ったとか。ソースを発見できなかったのが悔しいのですが。。

でもやっぱり今読んでも凄い比喩表現だなって感動します。

 

では、本題へ。

この曲は『月が綺麗ですね』的な愛の歌だと思ってます。

自転車に乗ってる主人公が、ふと空を見てみると夕焼け間近で美しい。

青とオレンジのグラデーション。

そんな時。

『綺麗な空だよ』

そんな風に恋人からメッセージが届くんです。

共感を求める心と共有したい気持ち。

『愛してる』の訳を『月が綺麗ですね』と表現した、夏目漱石の想いと通じるのではないでしょうか?

 

そういう、ものすごく個人的な喜び、価値観の違う人から見たら取るに足らないもの、そう呼ばれるかもしれない一コマ。

でも、主人公にしたら、世界平和より人間関係の悩みより、凄く大事な、一番大事な事柄に思えた。

なんてピュアなんでしょう(笑)

いや、純粋とかじゃないのかな?

 

二番の歌詞で種明かしというか、主人公の背景が描かれます。

答えの出ないような

問題ばかり抱えて

途方に暮れながら

とぼとぼ帰ってた

この星に生まれて

巡り合える全てが

宇宙の奇跡ってこと

すっかり忘れたまま

答えの出ないような問題…

なんでしょうね?主人公にとっての、答えの出ない問題

 

実はこの曲がずっと頭の中に回り続けた日があります。

こんな話題書くのもなぁ、かもしれませんが、書きます。

インスタで投稿したので、ハッキリ覚えています。

今調べたら『2020年2月17日』

逮捕の4日後ですね。

この時はまだ拘留中で、ただただ心配をしていたんです。

『大事なものを失くすかもしれない不安、二度と会えなくなったらどうしようという気持ち』

私が書いた言葉たち。

アーティストを愛するというのは、ある線を超えると、信仰じみてきます。

いや、アーティストだけじゃなくて、片思いの人でも動物でも芸術でも同じ。

誰かや何かを愛すると、その対象が『心の拠り所』になる。そうなると信仰です(極論)

もちろん、行き過ぎると良くないのですが、人は必ず心の拠り所が必要なんだと思います。

無い人もいるか…な?

しかし、それがあるかないかで、人生の幸福度が変化するかと。

…マッキーを心の拠り所にしていたんだな、と、この時期思い知らされました(笑)

ファンの中でも、意見が分かれると思います。

再犯ですしね。二度と裏切らないで欲しかったのに、信じてたのに!って意見もわかります。

でも、私は違った。それがわかった事件でした。

私は槇原敬之の才能と彼が作る曲が大好きで、出会えたことを奇跡の様に感じている。

とぼとぼ歩くような、肩を落としているあの瞬間も、やっぱり失くせないって思ったんです。

でも、今後も活動を続けるか否かは、マッキー自身の問題で。

難しい…(TT)そんなぐるぐるした気分に、引用した歌詞がマッチして、延々と脳内再生しちゃったんでしょうね。

 

話がそれてしまったので、戻します。

 

その後の歌詞で驚くのが、空が綺麗だよって教えてくれた人とは、一緒に住んでるんですよね。

一緒に住んでなくても、『今朝あったばかり』『買い物袋を抱えて』この二点で、随分と近しい人物であることがわかります。

 

例によって、出てくる登場人物の描写がありません。自転車乗っていたり買い物袋抱えていたりしますが。

という事はつまり、誰でもこの曲に自分を重ね合わせることが出来るという事。

 

生きていると悩みはつきませんが、それでも『空が綺麗』そう思える心と、それを伝えられる誰かが居れば、それでいいんじゃないか。

バカボンのパパ的に、『それでいいのだ』

そう認めて貰っているような気分になる、今曲。

 

これからもあの時の気持ちを思い出すんだろうな。

でも、再始動の声が聞こえてきましたし!

巡り合える全てが宇宙の奇跡

感謝しつつ、本記事はおしまい。

 

 

 

04. In The Snowy Site

これ。この曲。

最初にアルバムで聞いた時からキュンときていたんですが(ピアノ!ラブソング!!ということで)ライブで聞いて、メロメロになりました♡

歌自体も良いけど、歌うたい槇原敬之の実力が遺憾なく発揮されるんです!生歌での「In The Snowy Site」最高なんですよ!!(力こぶし)

降り始めた雪で街は

右往左往してしまう

こんな日がたまにあるほうが

いいのかもしれない

たったこれだけの雪で

街は機能を失うから

しっとりと始まったピアノのイントロから、柔らかい歌声。

日本は横長の国で、四季があるだけではなく、北国と南国の寒暖差が激しいです。

冬でも暖かい沖縄と氷点下の北海道。雪を見たことがない人もいれば、1年の半分を雪に閉じ込められて暮らしている人も居ます。

そんな中、ここで描かれる『街』は、都会かと。

機能を失い右往左往…東京や大阪の大都市で、数年に一度こういう事態が起きて、電車が止まり駅に人々が溢れて、交通道路も麻痺します。

そんな日の話。

非日常な夜に、傘をさした主人公が歩いている…

『夜』、という単語は出てこないんですけどね、『明日の朝』からの連想でそんな光景が浮かんできました。勉強になるなぁ…。

 

全て思うままに出来るわけじゃ

ないと白い世界で思い出せる

いつも通りには行かないだろう

いつだってそうさ

この歌詞以外の部分はたんたんとした風景描写になっています。

この風景描写、昔は比喩の天才槇原敬之の名を欲しいままにしていた彼ですが、ある時期から簡単な言葉(シンプルともいう)で表現していく手法に変化しました。何度もこのブログで言及してきましたね。

でも、今曲はそれの一種の到達点のような気がします。個人的意見ですが。

シンプルな風景描写を『積み上げる』妙。

一連の流れにする事により、サビに繰り返される

I walk walk walk in the snowy site

ここにエネルギーが集まる…スパークする(ロックとかではないから、静かなスパークなんですけど)そんな風に感じました。

前アルバムで、マッキーはユーミンの「A HAPPY NEW YEAR」をcoverしました。

雰囲気…違うな、曲が持つ『温度』が同じだな、そう感じます。

 真冬の寒い日に、好きな人を思いながら歩く、あの感覚。

 外気と自分の中の温度の違い。心が暖かいから、寒いけれど心地良いというか。

そして、この一文。

たぶん君を好きになる

 ぐわぁぁぁぁぁぁ~!!!

やられた!!(><)

…ってなりませんか?

『たぶん』の効果!!

たぶん、があることによって、その後の

『君を好きになる』がもーのーすーごーく!

何倍にも破壊力を持つのです!

ちなみに、ライブでマッキーが歌う時、この『たぶん君を好きになる』の所で手を前方にあげるんです。

このツアー時、7~8回ライブ行きましたが、真正面に二回ほど席取れたのかな?一回だけだったかな?
なんにせよ、真正面にいると、一瞬だけ『君』になれます。

…色んな所から、アホな子やら痛い子やらのひそひそ話が聞こえてきますが^^;

ファンの心理って、そういうもんですよね。ね?ね?

 

そんなわけで(どんなわけだ)この曲は近年まれにみるラブソングの名曲だと思っております。またライブで聞きたいな。

最後に、一番好きな歌詞の部分を。

信号機が吹雪を黄色く染める

実家の前には池がありまして、その周りを桜がぐるっと囲んで地元の名所になっているんですね。私は桜が沢山植わっている地域で幼少期を過ごしたので、桜が大好きで、春になると無くては困る存在なのですが(今も桜が窓から見える家に住んでいます。桜大事)

で、春の夜にその池の周りを歩いていると、信号機の青いライトに照らされた桜が『青い桜』になるんです。めっちゃ綺麗なんですよ。幻想的で。

青い桜にしかならないんですが、それがなぜかというと信号機の左側に桜があるから。

黄色とか赤にはならないんですね。

ここで、吹雪が黄色の意味ですよ。

吹雪だったら、赤でも青でもOKな筈。

上でこの歌詞以外~と引用した部分に通じますが、黄色は『止まれ』ではなく、『注意して進め』

恋の不安さ、が暗喩としてここに表れているんだな、と。

私みたいに何も考えず聴いていると、気がつかない。でも確実に意図して入れられた伏線。サブリミナル…まではいかずとも、無意識に訴えかけてきます。今回レビュー書いたから気がついたんです。いやぁ、この曲恐ろしい素晴らしいわ!

…ももたさんとかだったらとっくの昔に気がついてそうですね(笑)でも、抜けてるからこそわかった時の喜びって半端なくて、神様はうまい事人間作ってると感心します。

 

好きな曲なので力が入りました(笑)やっぱりマッキーのラブソング最高です。少なくなっても、ラブソング書き続けて欲しいなって思いつつ、今記事はおしまい。

 

2021/10/11 9:00追記

朝に気がついたら相方さんからメッセージが入ってました。以下コピペ。

ところで、黄色信号の「注意して進め」は
道路交通法施行令 第二条
https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=335CO0000000270#1534

●黄色の灯火
一 歩行者は、道路の横断を始めてはならず、また、道路を横断している歩行者は、すみやかに、その横断を終わるか、又は横断をやめて引き返さなければならないこと。
二 車両及び路面電車(以下この表において「車両等」という。)は、停止位置をこえて進行してはならないこと。ただし、黄色の灯火の信号が表示された時において当該停止位置に近接しているため安全に停止することができない場合を除く。

黄色には引き返せとか、止まれとか、自分の位置次第で指示が違っているので、「注意して進め」とだけ書くより補足してもらったほうが良いかなと思いました。
私も引き返さなきゃ、止まらなきゃって位置は過ぎて、注意して進めの位置なんだろうと思ってます。

もしくはレビューで意図してたのが
●黄色の灯火の点滅
歩行者及び車両等は、他の交通に注意して進行することができること。
だったら『黄色点滅』にしておいた方が良いと思いました!

なるほどーーーーーー!!!

とめっちゃ納得したワタクシ。

やっぱり曖昧な事はちゃんと調べなければいけませんね。

ありがとうー! そうか、自分が運転免許持ってて、その時の曖昧な記憶のまま書いちゃってたわ💦💦💦 直さないといけないね。
そして、黄色点滅!
黄色点滅は夜中に多いけど、そちらだと赤とか青じゃないね。
ということは、11時以降の街なのかも。
そちらを推した方が自然かな?

その返答が、

walk walk walkのリズムが点滅してるみたいにも聞こえるから点滅信号って解釈もありだと思うんだ、最初曲を聴いた時は点滅の方が浮かんだの。

私の相方世界一だわ~!!(自画?自賛)

いやいや、いつも鋭い指摘で私を驚かせ喜ばせてくれる考察を教えてくれます。

このブログのきっかけになった『槇原敬之だけを語る会』も、自分一人で歌詞を受け取っているとわからない部分を、他の方の視点を教えてもらう事で更に発展させて昇華させたい!ってある意味私の欲望(笑)で始めたものなんですよね。

私より長く、私より深く槇原敬之世界を探求している彼女には、本当にいつも感謝してもしつくせないほど助けて貰っております(身内を褒める事は日本ではあんまりやらないんですけど、ここぞとばかりやってみたり)

 

その後も少しやり取りあるんですが、その辺りは割愛。

色んな意味にとれるのが、名曲の証なんだと思うのよ~。 ますますこの曲好きになりました♡

私の返答が全てを物語っていると思うので、引用して今記事はおしまい(^^)

02. どーもありがとう

www.nhk.or.jp

槇原敬之公式サイト » どーもくんに楽曲を書き下ろしました!

どーもくんが20周年を迎えるにあたり、作成された「どーもありがとう」

…なんですが、さすがマッキー、キャラクター向けの楽曲というより、とても深くて考えさせられるものになっています。

当たり前に思っていた

全てがそうじゃなかった

まるでパタパタとオセロが

ひっくり返っていくみたいだ

君がしてくれたことや

言ってくれた言葉全部

限りある自分の時間を

使って僕にくれたもの

そうなんです。

この視点。

マッキーがずっと言ってきたこと。

まさに、

見ようとしないと見えない

もの。

この曲を初めて聞いた時、ちょっと『自分に向けられて書かれたもの』なんじゃないかと思いました。

*注 完全なる1ファンの妄想想像です。ライブで目が合ったー!って言って喜んでるような(笑)なので、話半分で聞いてくださいね。戯言ですから。ね?(笑)

はい、何言ってんだって批判が爆発かもしれませんが、ちょっと読んでみてください。

可愛い人」でも感じたのですが、あれは勝手な思い込み。

こちらは少しだけ、ほんの少しだけ、もしかして?の%が増えます。

いやね、2015年か2016年だったかな、ツアーのMCでブラック槇原が降臨していた時期がありまして…。内容がどうも、マッキーの怒りから来ているように感じてしまって。少し人を皮肉って聞こえたんですね。

ちょっとショックでねぇ。。

マッキーも人の子ですから、そりゃ黒い部分もあると思うんですよ。人はみな影を持っていて当たり前。

でもそんなブラックな面を、『楽しむ』ためにお金払って行ってるライブで聞かされたくないなって。

しかもライブに複数回行く系のファンであるワタクシ。

一回目は苦笑いしてたんですが(でも心に小さな棘は刺さった)MCって内容が変わらない部分も多いじゃないですか。

二度、三度と聞いてるうちに、辛くなってしまって。トイレ行きたくなくてもトイレ行くようになりました(聞きたくないから)

ちゃうねん、別に面白くなくてもしょうもなくても良いけど(ありがたい話の方が多いんですけどね、マッキーのMC)人を馬鹿にするようなネタは聞きたくな~い!

HSPなんです、私。重ための。全人口の20%近くがHSPではないか?といわれているので結構多いと思うんですけど。言葉の感受性が強いので、ネガティブな話は苦手なんです。。

で、本題。

そう感じるファンも少なからずいると思うんですけどね、手紙に書く人は少数かもしれません。

マッキーに嫌われたら嫌だなと思いつつ、ちゃんと言葉を選んで手紙にして、想いを届けてみました。

ラジオとかでやってもらうには全然かまわないんですよ。あれも公共電波ですからおすすめはしませんが(^^; 

でも、本当にライブを楽しみにしていて、そのために半年前からウキウキしている気持ちがしゅーんとしぼんでいくあの感じ。悲しみです。マッキーがその話題をMCにする理由も何となくわかったんですけど、でもやっぱり内輪ネタにした方が…と思う内容で。でも、人によってその話を聞いても何も思わない人も居ると思います。これは自論ですが、マイノリティな考え程、言わないとわかって貰えない。マイノリティだからって我慢するんじゃなくて、伝える努力と勇気をもたないと、わかりあえない。伝える努力をしてもわかって貰えない時もあると思います。でも私は槇原敬之という人を信じていたので、書かねば…と思いました。私みたいに嫌だなって思った人が、黙ってマッキーから離れるのは一番の損益。誰にとっても。

次のツアーからMCはブラックな部分が一切なくなっていたので、ホッとした覚えがあります。最大のお返事だなと思って、嬉しくなりました。

そんな一件が、聞いた時にフッと湧き上がったんです。

思い込み?かもしれませんが、こんなエピソードがあった上で、下の歌詞。

 

言わなきゃダメってことは

たいてい言いにくいもの

投げ捨てたくてもなぜか

あの日捨てられなかった言葉に

そっと隠されていたのは

僕への愛そのもの

『愛』だと届く。そう思っています。

厳しい言葉でも(言葉の使い方は十分に気を付けなければいけません。良い事言ってても言葉が汚いと効果は半減以下です)ちゃんと正々堂々と正しい手段で伝えられたものなら、きっとわかってくれます。愛する人なら特に。だって、あなたが愛した人なんですもん。愛って『信頼』をかなり含んだものですから。

 

ありがとう ありがとう

思えば今の僕は

誰かのくれた特別で

出来てるんだね

めっちゃ名曲だなぁ、と。

どーもくんのサイトに、動画も作られていたんですけど、事件のせいか見れなくなっています。ちょっと悲しい。。

 

これまでもマッキーは「五つの文字」等で『ありがとう』を歌にしてきました。

短くも、誰にとっても優しい言葉。

大阪人は他の地域の方より、ありがとうを沢山普段から言ってます。

一番顕著なのはレジの人への感謝の言葉。

私もレジ打ちのバイトをした事があるので、その効果は実感しております。

ありがとうは、一番簡単に人を喜ばせる事が出来る声掛けです。

身近な人へも、すれ違うだけの人へも、そして言った自分も、心が温かくなる魔法の呪文。

皆さまも是非、ありがとうを沢山言ってくださいね!

という所で本記事はおしまい。

 

13. もしも

「Believer」もラストです。

この曲を初めて聞いた時、ベートーベンを思い出しました。

「ベートーヴェン生誕250周年」記念サイト / ベートーヴェンを聴こう!

ユニバーサルミュージックの公式ページ)

結構若い頃から難聴だった彼は、40代半ばで全聾(諸説あり)になりますが、それ以降もパワフルに曲を作り続けた楽聖です。

もしも突然音楽が
聞こえない日が来ても
いつでも君の側で僕は
歌い続けるから
誰かを思う気持ちを
目に見えないものがある事を
いつでも君の側で僕は
歌い続けるから

今回、これを書くまで全く疑いもせず、聞こえなくなったのは僕

だと思っていたんですが、聞こえなくなったのは君

でも意味は通るんですね。

これは他の方にも聞いてみたい。僕か君、どちらが聞こえなくなったかによって、また別の感情が湧いてきます。

聞こえなくなったのが僕の場合は、ベートーベンのように障害があっても才能を手放さないでやり通した、不屈の魂を感じます。音楽を愛しているから歌わずにいられない、聞こえなくなっても自分の歌で君を癒す。君に教えたい、様々な不思議を。

そういう感じ。

君が聞こえなくなった場合は、たとえ音が聞こえなくても僕の歌は心に届くから。君の側で歌い続けるよ。そんな風でしょうか?

でもやっぱり確率的には僕が聞こえなくなった、の方が正しいでしょうか?

 

今日悲しむ人を見た
その人は大きな口を
あけてるのに
何も聞こえなかった
それは誰かの名前を
ずっと叫び続けて
声も出ないほど
枯れてしまったからだった

これ、凄い歌詞だと思いませんか?

槇原敬之という人はデビューから数年、暗喩の天才でした。

が、後年表現方法をストレートに変えた分、聞いてる(歌詞カードを読んでいる)ファンの心をえぐる場面を的確に落とし込んできます。

声が枯れる程、名前を叫び続けた人の悲しみの大きさ…。

想像すると胸が痛くてしょうがないです(TT)

 

手直しできない過去に
いつもただ泣きながら
途方に暮れるだけの
僕らだけれど

巡り来るいろんな命と
出会っては別れるたびに
途方に暮れるだけの
僕らだけど

いつか気付くと過去は
頑丈な踏み台になっていて
悲しみを乗り越える僕らを
支えてくれるだろう

 

あぁ、ダメですね…。号泣です。この曲、本当に歌詞が素晴らしい。

私の好みなのかもしれませんが、歌詞読んでるだけで泣けてきます。

 

いやね、21枚あるオリジナルアルバムの収録曲を見ていると、「Lovable People」と「Believer」だけ、13曲目があるんです。

これって、普段通り12曲では言いたい事が足りなくて、13曲目を作ったってことだよなぁって。

「Lovable People」は「 Alone」、「Believer」は今曲「もしも」

どちらも〆に相応しい壮大な名曲。

「もしも」の主人公は槇原敬之ご本人ではないだろうか?と思っているんですが、いかがでしょう?

80歳までコンサートやってくれるって言ってましたし(笑)

 

今度こそ、ずっと私達の近くで歌い続けてくださいね、マッキー!

と呼びかけて、本記事はおしまい。

 

11. 理由


www.youtube.com

今曲も先にMVを。

エキセントリックで目を引くMVになっているかと。

作成者は映像作家の加藤隆さん。

RYU KATO profile

ツイッターでイラスト拝見しましたが、私この方のイラストめっちゃ好きです。エネルギーに満ち溢れてます!有名な所では米津玄師『パプリカ』のMVもこの方が作られたようですよ。どういう経緯で依頼されたのかは定かではありませんが、こういう風に素晴らしいアーティストに出会わさせてもらえるので、やっぱりMVは凝ってる方が嬉しいです。職人マッキーらしいMVをこれからも希望します(『宜候』のMVも楽しみですね!)

この曲はテレビ朝日系木曜ドラマ『はじめまして、愛しています。』の主題歌として書き下ろされました。

2016年8月24日発売。
ドラマも毎週見ておりました。里親のお話で、素敵なドラマでした。
コンスタントにドラマの主題歌やCMに曲が使われるとファンとしては喜ばしいです。
TVからマッキーの声が流れてくるのは至福。
 

誰かの幸せが自分の
幸せなんだと思って
追い求めていたものなのに
諦めそうになるなんて
何かを信じていく事は
容易い事じゃなかった
僕が思うよりもずっとずっと
努力が必要なんだ

この冒頭の歌詞を読むと、「僕が一番欲しかったもの」を思い出しました。

ベクトルは違うんですが、幸せを探求するという点で似てるなって。

でも深く読み込んでいくとちょっと違いますね。

「僕が~」の方は手にしたものを譲っていく事で最後に自分の心を満たすんですが、今曲では目に見えず手に取れない『信じる』という気持ちを、いかに保てるか?

保つことによって、それが出来る自分を誇れたり好きになれる、だから頑張ってる…そういう内容です。

「僕が~」の主人公の行動は、ある意味『仏様ですか?』って領域で、並大抵の人間には中々できない境地。欲が無いというか、いつかたどり着きたい場所ではあるけれど、だいぶ魂が成熟していないと出来ない所業。

対して、今回の「理由」の主人公は我々に近いというか、足掻いている最中ですね。

 

『信じる』って本当に難しいですよねぇ。。

何かを信じる事って、自分を信じる事に繋がっていて、自分を信じる事って、自分を好きじゃなきゃ出来なくて、自分を好きっていうのも見せかけじゃなくて、全肯定というか…。この辺りを考え始めると、そりゃもう『…終わらない』(TT)

(「 MILK」で自己肯定感の話を書きました。一応リンクしときます)

 

自分で好きになれる
自分でいられるのは
誇りを持てるような
自分でいられるのは
正しい心であろうと
何かを信じながら
頑張ってる時だけ
その時だけだから

 

正しい心であろうと
何かを信じながら
頑張ってる時だけ

『正しい』というのも、定義が難しいんですけどね。

100人いれば100通りの正しさがある、とも言えますし。

だから、それを忘れないようにしないといけないなって思います。

その上で、正しくあろう、とする気持ち。

大体、対象に対して優しさがあれば、間違えないと思います。

自分の事だけじゃなく、相手を思いやりつつも、自分の意見を伝える。

丁寧なコミュニケーションが思いやりなんだと思っています。

自分もそうしたいと思いますし、相手のそういう行動は見逃さないようにしたいです。

(対話を続けるのが様々な理由によって難しい時もありますが…。でも、その行動は巡り巡って絶対無駄にはならないと思います。本当の愛情なら届くはず)

 

最後に。

この歌は『結果』を一切伝えていません。

『信じる』というのは行動で、終わりがないものだからかと思います。

一体いつまで信じるのか?

それは人それぞれ、自分で選択していくしかなく、答えの出ないもの。

また、『信じる』事に依存してもいけないんだと思います。

『信じると決めたから信じる』それはそれで良いかもしれませんが、思考停止に繋がります。

 

人生という旅の中で、いつか絶対に必要になる『信じる』という行為。

自分を確立するために不可欠な物。

『信じられない』って辛く切ない瞬間です。

そうならないように、日頃から自分の心の中を覗いておくのは良い事だと思ってます。

はい、今回はレビュー要素が少なくて恐縮します(ごめんなさい)

この辺で本記事はおしまい。

10. 信じようが信じまいが

自分が思うより言葉は
誰かを傷付けてしまう
言葉で攻撃する黒い
魅力に取り憑かれる
スマホやPCで打てば
言葉は活字で現れる
あてのない中傷の言葉も
正論に見えてくる

この曲を最初に聞いた時、またマッキーは自ら茨の道を歩こうとしているな…と心配したものです。

White Lie」の時と同じく、レビューを書くのに少し躊躇があるのですが、彼が届けたいと思った気持ちを応援したいので、真摯にこの曲に向き合ってみようと思います。

 

最初に引用した歌詞でわかると思いますが、これは他人を誹謗中傷する人々に対するメッセージです。

この事を覚えていて
与えた分が自分に返る
信じようが信じまいが
これは動かしようのない
この宇宙の法則

 

これを歌にするって本当に凄いなと思うんです。

これは『因果応報』(☆ネガティブな時に使われがちな因果応報ですが、元々悪い意味ではなく、良い結果を得たにしても悪い結果を得たにしても、その結果には必ずその原因があるということ)などと言われている考え方。

これを書く事によって、絶対にどこかから何か言われる…そう思いませんか?

正しい言葉は劇薬、と言ったのは心理学者の権威、河合隼雄さんだったかと。

若干スピリチャル的な要素を含んでいる分、その考えが嫌いな方面からは眉を顰められるかも?と小心者のファンとしては胃が痛くなりました(笑)

 

匿名のマスクを被ったら
分からないって思ってるだろ

ここの歌詞から、匿名掲示板やその他、『本当の名前』を出さないで人を攻撃している人に書いてるのかな?って。

(ちなみに匿名だろうが匿名じゃなかろうが、人に対しての攻撃は相手が認知せずとも言ったりやったりした本人の魂に刻まれるので、やらない方が絶対に良いって思ってます。自らで自らを汚す行為、その選択を人はなぜ行うんでしょうね?少し考えたらわかるのに。もったいないなぁ。良い事を他でしていても、魂のレベルが下がってしまう。人間なのでどうしても、の場合は誰にも読まれないような場所に書いてすっきりする、という方法をお勧めします。これが誰も傷つけずなおかつ自分にも優しい方法かと)

 

匿名掲示板で思いつくのは『にちゃんねる』や『ごちゃんねる』?

私は言葉の感受性が強いので、ああいう所にはあまり近づきません。でも情報が早かったり、そもそも小さなジャンルではあそこにしか情報がなかったりするので、情報だけ読みに行く事もあります(でも自分のメンタルが弱まってる時は絶対に行きません)

 

昔昔、他の匿名掲示板で私の好きな作家さんが色んな事を言われていて、憤慨した覚えがあります。ファンなのになんでそんな書き方をするのか?同じ事を言っていても、違う言葉をなぜ選択しないのか?

 

色々考えた結果、

1、わざと悪く書いている(攻撃したい)

2、深く考えずに書いている(元々その人自身が他人の気持ちを想像しない)

3、誰かの言葉に反応して自分のストレスを発散するために書いている(悪口を書く快楽の責任を分散できる好都合)

4、祭りに参加したい(アホか)

他にも理由はあると思いますが、大抵この4つに分類できるかと。

そして、一番多いのが『3』な気もしています…。

 

人間観察が趣味な所もあり(小説書く人は絶対的に人間観察が好きでないと書けないと思います)スレッドを丹念に見ていくと、きっかけになる投稿が見えてくるんですよね。

その言葉自体は悪口?ギリギリセーフかな?と思うけど、明らかに『悪意』が練りこまれ、それに反応して他の人が悪口を『書く気』を起こす。

巧妙かついやらしい。その人の心の中で悪魔がニヤリと微笑んでいるのが見えてしまう。自分で手を下すんじゃなくて、人に手を下させる。それがその人にはとても楽しいんだろうな。仲間を増やせたのも嬉しいのかもしれませんね。

 

読んでると、「あーあ…」ですよ。読んでるだけじゃなく、実生活でも見えるんですけどね。

学校や会社のいじめも冷静に眺めているとわかります「あーあ…」

ため息。ため息しか出ない。

人間は一人一人だと善良な人が多数なのに、こういう悪魔的な人の巧妙な手口でコロッとオセロの裏表を返すように、変化してしまう時があるので、ねぇ。

ま、そういう人はいつかどこかで(来世かもしれませんが)同じような目にあうのでしょう。

そう思って、悲しくなってその人を見てしまいます。

 

また、ほんの少しだけの間、匿名掲示板で標的?にされた事もあって。

書かれている情報は90%嘘なのに、10%だけ本当…みたいな。でも狭いコミュニティだから、もしかしたら私?と他の人に想像されちゃうかもしれない、変な風に誤解されるかもしれない…そんな状況でした。

そこで最初に引用した歌詞ですよ。

スマホやPCで打てば
言葉は活字で現れる
あてのない中傷の言葉も
正論に見えてくる

これ。

正論に見えてくる…。正論も中にはあったりするんですけどね。

でも、10%しか本当がないのに、そこに書かれてそこの住人が認知しちゃうと、あたかも全て事実のようになってしまうっていうのがもう…怖いし、理解したくありません。

 

だからこそ、マッキーはこの曲書いたんだろうなって。

絶対、何か言われるのはわかっていて、あえてこの曲を世に出すことで、書かれている事が事実とは限らない、という事の種を、聞いてる人の胸の中に落としたんです。

その種は全て芽が出る訳じゃないでしょう。

芽が出ても、成長せずに枯れるかもしれない。

でも、幾らかの人々の中で『あ、これは悪い事だったんだ。格好良くない』という『木』に成長したら、それで良い。

問題を定義し、正しい道を教え、後は本人に任せる。

シンガーソングライターはそういう事も出来る職業。

神様からもらったギフトを、有効に使おうとしているんだろうなって。

…マッキーも人間ですからね、揚げ足取られる事も言ったりやったりするでしょう。これからもね。

でも、基本的には『わかってる』と信じているので、誰かに攻撃されないか、ハラハラしながらも見守って応援したいと思います。

 

残念だけど信じるとか
信じないとかそんな事は
どうでもいい話なんだ
You should remember this.
"you get what you give."

最後に。

自分がやられちゃ嫌だと思う事を他人にやってる人がたまにいます。

私には本当に理解出来ないんですが、みんな楽しそうにやっていて。

人をいじめている時、みんな共通して同じような表情をしています。

あれは…

自分が他人からそうして欲しくて、あえてやっているのかな?(絶対に違うと思いますが)

宇宙の法則で、自身にいつか帰ってくるから、他人への攻撃より自分の魂を守って欲しいと切に願っております。

小さなことでも、その人が選ぶことがその人自身を作り上げる。

他の人はわからなくても、自分が自分を見ているから。

どうしてもしょうがない、って事ならちゃんとわかるので、遊び半分で人を攻撃している人々、もったいないよという言葉を残して、この記事はおしまい。